2008.01.06

沢山のお出かけ

1_3 

お正月ももう5日になりましたね。
お天気に恵まれた、穏やかなお正月でした。
1日は息子と港北で食事をしたり、横浜を散策したり、昨年と同じコースで過ごしました。

昨年は、外出を支えてくださるボランティアさん達のお陰で、随分色々なところにお出かけすることが出来、本当に楽しい一年でした。

年賀状に掲載した写真は
東京ドーム、日産スタジアム、ららぽーと横浜、向ヶ丘バラ苑、野毛山動物園、富弘美術館、長尾あじさい寺、東芝科学館、誕生会、生田緑地、神奈川新聞花火大会、24HTVへの募金、摩周湖、大黒ふ頭、川崎フルーツパーク、港の見える丘公園(異人館)、阿寒湖クルージング、東扇島西公園、神代植物園、環境エネルギーミュージアムの屋上庭園、神木つつじ寺、川崎マリエン。

全部は掲載できませんでした。来年も賑やかな年賀状を送れるように、
今年もできるだけ多くの外出を楽しみたいと思っています。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2007.09.23

OVER THE RAINBOWの歌詞について

連休で、久しぶりにノンビリと・・・
我ながら驚くほど沢山眠っています。(^^;)
ま、すべて眠っているわけではなくて、このようにブログを眺めたりしているのですが。

Ico_niji1 で、普段あまり覗かないアクセス解析を見てみると、「OVER THE RAINBOW 歌詞」で検索してこられる方が随分多いようですね。
「OVER THE RAINBOWの歌詞」が書かれているのは、↓コチラです。

http://soyokaze.way-nifty.com/over_the_rainbow/2006/07/post_0631.html

映画の解説サイトへもリンクしてあります。
少しお役にたてるかな?

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.09.10

北海道へ

  久しぶりの日記です。

9月6~8日、北海道にいってきました。\(^o^)/
台風と一緒のスケジュールです。(^^;)

今回の旅は神奈川新聞文化厚生事業団主催「車椅子空の旅」というツアーでした。
とても安い参加費なので、ビンボー旅行かと思っていたのですが、毎回豪華なお料理で、北海道の秋の味覚を堪能することができました。(*´∇`*)
このツアーには、ボランティアさんが大勢参加してくださって、マンツーマンで介護を手伝っていただきました。20代、30代のたくましいボランティアさんたち、とっても頼りになりました。
看護士さん3人もボランティアとして参加です。安心して旅することができました。

まずは出発式のお弁当♪ P1000119
台風が心配でしたが、まずは無事に到着。

温泉につかったら、お待ちかねの夕食。P1000127
全部は写しきれませんでした。
後から、天ぷら、手打ちうどん、吸い物、夕張メロン、ブルーベリーアイスクリームが運ばれてきました。
もう、お腹イッパイ!
食事の後は、ゲームやらクジ引きやら。
とっても豪華な賞品でした。1位はベイシェラトンのペア・ディナー券!w(・O・)w当たりませんでしたが・・・でも参加賞も豪華でしたよ(^-^)

そして、あっという間に2日目朝食。(*´∇`*)P1000129

ゆったりしたスケジュールなので、食べ物の話ばかりになってしまいますね(^^;)
朝食はバイキングです~
これ私が全部食べたんじゃなくて、2人分ですよ。
ニシンの切り込み とイカの塩辛   凄く美味しかったです。
P1000154_2

こちらは温泉卵とマリモ豆腐P1000155






お腹いっぱいになって、さあ、摩周湖へ出発です。
しかし・・・台風も近づいてきて、ものすごい土砂降り。
気温も14度と寒い寒い!
これじゃ、霧の摩周湖ならぬ、嵐の摩周湖だね~といいながらも
ワイワイと楽しいバスの旅♪
弾む心が天に届いたのか?摩周湖でバスを降りる時には薄日が射しているではありませんかヾ(@⌒ー⌒@)ノ
そして・・・めったに姿を現さないという摩周湖がP1000132
隅から隅まで見渡せたのです\(^o^)/
なんてラッキーなんでしょ!

記念撮影したり、お土産を買い込んだりしまして~
昼食はホテルにて、海の幸たっぷりの海鮮丼。
P1000137 美味しいですぅ~~~

午後のスケジュールは、阿寒湖クルージング♪P1000138
この船を貸し切りです。

阿寒湖に浮かぶ小島、チュルイ島で、マリモ観察センターを見学。
P1000143 P1000144
素晴しい眺め!P1000147

この後は、アイヌコタンに行ったのですが、写真がありませ~ん(^^;)
で、帰着後は露天風呂入浴と豪華夕食。



夕食後のお楽しみタイム、2日目はカラオケ大会。
20人の参加者が歌っている間中、ボラさん達は後ろで踊って盛り上げてくれました。ヾ(@⌒ー⌒@)ノ
P1000153 大熱演です。

最後に皆で大合唱した時には、ホテルの従業員さん達も一緒になって踊りのスクラムに加わって!



3日目、最終日は釧路湿原の展望台へ。
はるか彼方まで、広々とした湿原が。
P1000158 P1000160

途中、丹頂鶴のつがいを何度も見かけました。飛んでいるカップルもいました。今はまだ季節じゃないのに、こんなに見ることができたのは、これまたラッキーでした。丹頂鶴を見ることができるのは、とても縁起がいいのだそうです。(^o^)


そして、フィッシャーマンワーフという観光センターで、昼食とお買い物をして、すべての旅程が終わりました。心配していた台風も、私たちのために進度を速めて通り過ぎてくれ、予定通りに帰ってきました。

飛行機搭乗の直前から、息子が発作を繰り返して起こしてしまいましたが、看護士さんたちがつきっきりで看てくださいました。ただただ感謝です。

ツアーには、座位の保てない、経管で食事摂取しなくてはならない方も何人かおられました。健常者のように気軽に旅行にいくことは、なかなか困難なことでしょう。北海道の旅、どんなに嬉しかったでしょうね。

ボランティアさんも、バスの方も、ホテルの方も、船の方も、関わってくださったすべての方から素晴しいご配慮をいただきました。とっても心地よく過ごすことができました。お陰様で、夢のように楽しい旅でした。

ありがとう!ありがとう!!
楽しかったです。本当に楽しかったです!

| | Comments (4) | TrackBack (0)

2007.03.31

一安心

昨日はずっと電話を待っていた。
勤め帰りの電車に乗る直前、携帯が鳴った。
よかった、一安心。

3月初旬、息子が骨折した。
いつ、どうして折れてしまったのかは、わからない。
鎖骨が折れて、大きくずれていた。

折れた箇所はギブスなどで固定することはできなかった。
手術による治療は、金具などを使って補強したら、今後転倒などした場合に、より危険なことが予測されるため、避けたほうが良いとのことだった。

結局、シップを貼るだけで、僅かに重なっている折れ口がくっつくのを期待するしかなかった。骨がくっつかない場合でも、周囲の筋肉が強くなって、骨の折れた部分を補強するとのことだった。

治癒するまでの間、転倒を避けるため息子はずっと車椅子に座ったままで暮らさなければならなかった。
元通りに腕が動くようになるのか、ずっと車椅子で過ごしていて、弱ってしまう歩行能力は回復できるだろうか。
そんなことを心配しながらの日々だった。

昨日は病院で受診して、回復具合を看ていただいたのだ。私は仕事が休めなくて、付き添えなかった。(施設が介助して通院)

結果、
息子の大きくずれていた骨は、位置が随分もとに戻っており、よくくっついていたのだそうだ。
これで歩行訓練もまもなく再開できそうだ。
腕を動かすリハビリも始められる。

よかった。
とりあえず、一安心。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

2007.01.03

虹のコンサート

Wong_1s_2 グループ・クローバーの活動を振返って、一番に思いだすのは「虹のコンサート」のことだ。
公的に施設が設立されると決まってから、私たちの活動はその方向を施設設立から、障害児・者の豊かな暮らしのためへと方向転換した。
そこで、日ごろコンサートに行くことができない重度の障害をもった子どもたちや、介護に携わっているお母さんたちにも音楽を楽しんでいただこうとコンサートを企画した。アーチストの方の賛同があったからこそ企画することができた。
会場にはマットを敷いた。お座りができないお子さんも横になったままでも大丈夫。
(共催の形になっている「そよ風クラブ」では、主にレクリェーション部門を行っていた)

Niji4_3

 1991年(平成3年)6月、ピアニストのウォンウィン・ツァン氏のご理解と
ご協力で、第1回虹のコンサートを実現することができた。
ウォンさんは、それまでも障害のある方々(「障害があるなしにかかわらず」と表現するのが正しいのかも知れないが)と共にアートを創ったり(ダンスと音楽のコラボなど)、それぞれが持っている鋭い感性を引き出していくといったお仕事も多く手がけておられた。そんなところから接点が生まれ、思い切ってコンサートへの出演をお願いしてみたのだ。

 招待状を差し上げたお母様たちは、何日も前から子どもの体調に気を配って親子での参加を楽しみにしてくださった。「コンサートに行けるなんて夢のようだわ。私、お洒落して行くわ!」と喜んでくださった言葉が忘れられない。

Wong7s

演奏が始まると…
子どもたちの身体から喜びの感情が湧きあがり、あふれ出て、音とみんなの喜びが溶け合って、会場の空間をうねっている。
それがはっきりと感じ取れた。

Wong5s Wong_3s_1Wong_4s_1 Wong_2s_1 Wong6s







Niji2  翌年もウォンさんから「是非やりましょう」とのお返事をいただき、第2回虹のコンサートを開くことができた。
ところが、コンサート直前にウォンさんが体調を崩された。でも、ウォンさんはお加減の悪い中、ピンチヒッターを手配してくださり、コンサートは無事に開くことができた。Oikawa1s_1

急な出演を引き受けてくださったのは、及川恒平氏だった。
六文銭のメンバーとして「出発の歌」「面影橋から」などを作詞し、まだ人気が高い時にステージを去り、芸能活動から離れておられた。現在はソロ活動を中心に、グループでも歌っておられるが、長い長い沈黙の時間から再びステージに立たれる端緒となったコンサートであったと思う。

Niji5_1

そして1993年(平成5年)に開いた第3回虹のコンサートでは、ウォンさん、及川さんお二人がそろって出演してくださった。
なんという贅沢な時をいただいたことか。

当時、私は雑誌の連載エッセイを書いており、ウォンさん、及川さん、それぞれとの思いで深いエピソードや、彼らの演奏への感銘など、何度か書かせていただいた。また何かの機会にご紹介できればと思っている。

「虹のコンサート」を実施するために、養護学校の先生方、ディケア施設の職員さんたち、看護婦さん、様々な形のボランティアさんが力を貸してくださった。ショッピングセンターが駐車場を提供してくださったりもした。

多くの方の愛に触れ、とても素晴しい体験をさせていただいた。
どの回も喜びと感動に満ちたコンサートだった。
企画した私は誰よりもこのコンサートを楽しませていただいたと思っている。
が、ウォンさんはじめ、このコンサートに関わった方々全員から同じ言葉、「自分が一番このコンサートを楽しませてもらった」という言葉をいただいた。
そのことを私はとても自慢に思っている。

ウォンさんのホームページ
http://www.satowa-music.com/
及川恒平さんのホームページ
http://www.asahi-net.or.jp/~rr5k-oikw/

そのころの思い出画像のいくつか。

  P1000098 P1000099 P1000100 P1000101 P1000113

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2006.10.26

見知らぬ友へ

Hukurouleaf

このブログを読んでくださっている皆様、いつもありがとうございます。なかなか続きに手をつけられずにいますが、
これからクローバーの活動の中で一番楽しかった、「虹のコンサート」のことを書くつもりでいます。
お待たせしてごめんなさい。

このブログを読んだという方から、とても暖かいメールをいただきました。
私からの返事をご紹介したいと思います。

***さん、
メールありがとうございました。
ブログを見ていただいて、ありがとうございます。
お返事遅くなってすみません。

ブログ、なかなか続きが書けずにおりますが、前回までに書いたのが
私の一番辛かった時期です。
これから楽しかったことを書いていくつもりなんです。

私は息子を賜ってよかった。
息子のおかげで、私の人生はものすごく豊かなものになった。
まちがいなく。
そう思っています。

***さんのような心温かい方ら、こんな素敵なメールをいただけたのも、
息子のおかげですよね?

北海道には、一度息子を連れていったことがあります。
私も息子も元気な内に、また連れて行ってやりたいと思っています。
そのときにお目にかかれたらいいですね。

今後ともよろしくお願いいたします。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2006.08.20

「たより 最終号」にそえて

グループ・クローバーの「たより 最終号」を送り出すとき、文字には書きつくせない、書くことが出来ない沢山の思いを抱えながら、私は個人的に私を支えてくれた友人たちに手紙をそえた。
 辛い時期だった。もしあのころの状況がもう一度繰り返されたら、私は再びそれを乗り越えていける自信がない。



手 紙 (「たより最終号」にそえて)                平成12年1月

01014  長い間グループ・クローバーを、私個人を応援してくださった皆様、ありがとうございました。最後の「たより」をお届けいたします。作りながら、過ぎた日々を懐かしく、いとおしく思い出しておりました。

 障害を持った子の母として、何よりの心配は「親亡き後」のことです。安心して息子を託せる良い施設が欲しいと、息子が小学校に入った頃から、施設について勉強をし、運動に参加し、準備を進めてきました。お陰さまで息子は素晴しく設備の整った施設に入所することができました。
 それなのになお、息子を施設に預けるということに対して、私は罪悪感を持たずにはいられないのです。

 現実には施設入所は正しい判断だったと思っております。不自由ながら健康な息子が、やがて私の手におえなくなる日が来ることを思い、ショートステイなどを繰り返し体験させ、その日に備えてきました。より近くに、より良い施設を作ってもらうようにと運動を続けてきました。念願叶って市内に入所施設ができ、運よく入所を許可されました。素晴しい施設です。恐らく、対入所者職員数も日本一でしょう。

 けれど、開所した施設は安心して息子を預けられる所ではありませんでした。毎日電話が鳴ると施設からの悪い知らせではないかと手が震えました。どれだけの怪我やアクシデントを繰り返してきたでしょう。何度、このまま連れて帰ろうと思ったことでしょう。

162  でも、連れて帰りませんでした。何故?
 それは、順番に老いていくのなら、私が介護できない日がやがて来るから、そして、(個人的事情のため一部削除)私が看れない事情が起こったらひとたまりもないから、他に、成人した息子には、母親では与えきれないものを必要としているのではないか、という思いからです。また、一度退所すると、その後に必要が起こっても再入所はなかなか叶わないことになります。今の施設は、現時点では日本で最も恵まれた条件の施設なのです。

 私は施設の対応を改善してもらうために闘い続けてきました。機関銃を撃つように怒鳴り、泣き叫び、へつらい、懇願してきました。弁護士に相談し、新聞に書き立てると脅し、人脈を頼り、私にできるある限りの力(それはつたないものではありますが)を使い果たしてきました。

 私の力でと言うわけではないでしょうが、お陰さまで施設の対応は随分改善されました。アクシデントの知らせは減り、怪我もだんだん少なくなってきたように思います。
 僅かずつではありますが、要望を聞く姿勢を持った施設であったことを、感謝しております。

012gr  息子が幼い頃から、何があっても成人するまでは手元で育ててやりたい、そして成人したら、できるだけよい施設に入所できるようにと準備し、チャンスを待っておりました。その通りになりました。

 これでよかったのだと思っております。いいはずです。
 それなのに、どうしても私は息子に申し訳ないと思うのです。施設に入所させていることに罪悪感を持つのです。
 ある人は私のことを「欲張りだ」と言います。そうかもしれません。

 救急車が通る時、当たり前のこととして道を譲ります。
 「福祉」の全体がそんな風になって欲しいなあ、と思います。
 弱者であることがハンディと感じなくてすむような時代になったとき、私は私を責めなくなるのかもしれません。

021_1  グループ・クローバーは解散いたしますが、これからも障害児・者、あるいは弱者と呼ばれる人たちに心を向けている者でありたいと願っております。

 これまでのご支援に心より感謝し御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(「たより」にそえた手紙終わり)

この後息子は更に大きな怪我をしました。何故、どうしてそんな大怪我をしたのか、結局は解明されないままでした。
 
二つの福祉オンブズマン団体が応援してくださり、施設側と毎回弁護士が同席する話し合いを1年近く続けました。施設には何点かの改善勧告が出されました。
 
施設は、組織体制を大きく変えました。重度の障害者への対応もなされるようになりました(これは最初から整備されていなくてはならないことでしたが)。

00722_1  最後の怪我のために衰退してしまった息子の歩行能力も、歩行訓練によって回復することができました。
 好奇心旺盛で、あちこち動き回り、誰にでもニコニコと話しかける息子でしたが、その後はほとんどの時間を部屋で過ごすようになりました。
 このことは、息子の「活気がなくなった」のではなくて、「安全なすごし方」を学んだのだと考えています。

 

| | Comments (4) | TrackBack (0)

2006.08.03

「たより」最終号(平成12年1月発行)

(「たより」最終号より抜粋)

Tayorisaisyuu_1  “もうすぐ1年になります”とご報告した、グループ・クローバーの「たより」1号をお届けしたのは、1987年春のことでした。市内に身体障害者療護施設を設立するという、まさに夢のような目標を掲げてのスタートでした。多くの方にご協力をいただき、バザーや講演会を開き、僅かずつ資金を蓄えました。

 平成3年に市は施設設立を決定し、長年の夢は公的にかなえられることとなりました。平成8年に待望の施設は開所いたしました。

 グループ・クローバーはその目標を「施設の充実、増設、及び障害児者の豊かな暮らし」として、バザーなどの他に障害児者のためのコンサートを催し、運動を継続してまいりましたが、平成5年11月のバザーを最後に収益事業を終了いたしました。
(中略)
 これまでの「たより」にも度々書いたことかとは存じますが、「多くの方が支えていてくださる」という思いは、本当に励みとなり、大きな支えとなりました。
 グループ・クローバーからの最後のご挨拶となります。
 皆様、ほんとうにありがとうございました。心より御礼申し上げます。

 クローバーの活動は終わりますが、私たちはそれぞれの場で、障害児・者のために力を尽くしてまいりたいと存じます。
(抜粋終わり)

 グループ・クローバーの活動を通して、多くの素晴しい体験をさせていただいた。
 皆、重度の障害をもった子どもを抱えながらの活動だから、大変だったことも勿論あった。バザーや講演会、コンサートを準備した時の忙しさや緊張感は、イベントを無事に終えたときの喜びとともに、どれも懐かしく愛おしい思い出となっている。
 支えてくださった方々には、今も感謝してやまない。
 あの時があったから今の私がある。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.07.16

足あと

Tayori_1

「たより 1号」(昭和62年4月15日発行)より抜粋

 桜の花が咲き始め卒業式、入学席のシーズンともなると、「おめでとう」の言葉があちこちで聞かれます。胸に花を飾った園児の手を引くお母様の晴れやかな笑顔も見かけます。そんな光景に出あった時、私はつい「うらやましいなあ」と思います。私たち障害児の親にとって我が子の卒業や入学は手ばなしで喜べることではありません。普通ならこんな時「もうこんなに大きくなったのね」と目を細めるでしょう。でも私たちは「もうこんなに大きくなってしまったのね」と溜息をつくのです。高校を卒業してしまったらどうなるのだろう。親が年老いたら…親がいなくなったら…。心の中は不安でいっぱいです。

 重症心身障害者が人間らしく安心して暮らせる療護施設を作りたいと私たちはグループ・クローバーをつくり、ささやかな運動を始めました。多くの方々のあたたかいご支援に支えられてまいりましたが、療護施設の設立、まして重症者のための施設を作るなんてとても無理、まるでゆめを追いかけているようなものだと取り合っていただけないこともありました。本当にそうだと思います。でも夢だからといって諦めていたのでは何ごとも手に入れることはできません。
 子どもたちの将来を思うと例え夢のような話しであっても追いかけずにはいられないのです。なんとかして実現させたい、そして我が子が高校を卒業する日には心から喜び祝ってやりたいと願っております。

 この一年間多くの方々のご好意に支えられて運動を進めることができました。無償で講演を引き受けてくださった先生方、バザーを手伝ってくださった方々、ご寄付くださった方々、子どもたちの世話をしてくださった方々、がんばれと励ましてくださった方々、本当にありがとうございました。グループ・クローバーはこれからもかたつむりのような歩みを続けていくつもりです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(抜粋終わり)

息子は今、30歳。誕生日が来るたびに、よくここまで成長してくれたと、心から祝ってやることができるようになった。託すことができるということは、ありがたいことです。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.07.05

歩くこと 歩き続けること

Akitomodati 「この子が歩けるようになるとは思わなかった」
養護学校高等部卒業を控えたころに、校医の先生が担任にもらした言葉だという。
担任からその言葉を伝え聞いた私はビックリした。

小学校入学のときその校医は、息子を診察して、こう言ってくれた。
「お母さん、この子はね、歩けるようになりますよ。必ず歩きますよ」
以来、私はその言葉を疑ったことがなかった。

Walkingakis 立てるようになったころから、毎日、毎日、歩行訓練をさせた。
学校でも訓練をしていただいた。
おかげで息子は、おぼつかなくはあるけれど、少しずつ歩けるようになった。
小学校の卒業式のころは、杖をつき、安定させるため、靴の踵にには左右それぞれに1.5キロの重りが入れられていた。
高等部の運動会では、市民グラウンドで、500メートルを独歩した。

息子がこんなに歩けるようになったのは、
「必ず歩くようになりますよ」とおしゃった
校医先生のこの言葉のおかげだと思った。

学校を卒業後は、ディケアでも歩行訓練をお願いした。毎日。
今入所している施設でも2年ほど前から歩行訓練をしていただけることになった。朝夕、毎日。

息子は30歳になった。
あと5年で、息子の歩行能力は急速に衰えるだろうと、宣託を受けている。
これまでに息子の歩行能力を高めるため、維持するため、どれほど多くの方々がどれほど多くの力を尽くしてくださったかを思う。
この力を1日でも長く保って欲しいと願っている。

Majo 「歩ける」と太鼓判を押してくださった校医先生はじめ、多くの方のお力尽くしに感謝してやまない。
そして、20年以上、毎日毎日歩行訓練を続けてきた息子を褒めてやりたい。

*イラストは、中学部のときの担任が描いてくださったもの。
  上と下の画像はクリックで拡大してご覧いただけます。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

虹の彼方

Rb3250 10年前。市内に初めて身体障害者療護施設ができた。

「親亡き後に安心して託すことができる施設が欲しい」と、ずっとずっと大きな団体や小さなグループが、署名を集めたり陳情したり、あるいはバザーを開いたり、いろんな活動を続けてきた。父母も当事者も、皆が待ち望んでいた施設だった。

新しくできたその施設に、私の息子は運よく?入所することができた。

けれど、入所してからの5年間ほどは、私のこれまでの人生で最も辛い時期だった。

やっとできたその施設は、重度の障害者にとっては望ましい施設であったとはとてもいえなかった。

今も、そのころのことを思い出すと気持ちが平静でいられない。

OVER THE RARb1200INBOW」は映画「オズの魔法使い」の主題歌だ。

「虹の彼方には、いつも太陽の輝く幸せな国があるという。

いつか自由の翼を手に入れて、その国にいきたいものだ。

もし幸せの青い鳥が虹の彼方に飛んでいくのなら

だったら私にもできないはずはないじゃない?」

概ねこのような歌詞だった。



息子の入所する施設名には「RAINBOW」という語句が含まれている。

いつかきっと、施設に心から感謝して言葉を綴れる日がくる。そう思ってこのブログをスタートしたのだった。

今、息子は入所当時に比べ、はるかに安全に暮らしている。

そろそろ気持ちを整理して、福祉に対する思いなどを書いていきたいと思う。

Rb2200 *歌詞の最後の部分、よく「なのに何故私にはできないのか」と訳されているけれど、違う、そうじゃない。「できないのか?」という問いの後に「いいや、できないはずはない」という反語がかくされているのだ。私はそう確信している。

If happy little bluebirds fly
Beyond the rainbow
Why oh why can’t I

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2006.06.08

グァム♪行ってきました~


息子、娘一家と一緒で、賑やかで楽しい
楽園の日々でした。

P1000151  P1000137 P1000107 P1000109 P1000114

P1000141

P1000147 P1000148

| | Comments (4) | TrackBack (0)

2006.05.15

グァムへ♪

Syuchang

月末からグァムに行く予定です。
息子と。
娘一家が同行してくれます。

以前、サイパンに行ったときにパスポートを作ったのですが、
そのパスポートの10年の期限が、あと半年。
それで慌てて行くことを決めました。
多分息子にとっては、これが最後の海外旅行になるでしょう。

息子は、今はおぼつかなくはありますが、なんとか歩くことができます。
でも、もう若さのピークを過ぎて、これから急速に歩行能力も衰えるだろうといわれています。
私も衰えていきます。
今のうちに、できるだけ沢山、あちこちに行っておこうと思っています。

沢山旅行したり、沢山散歩をしたり、
いろんなお店にいったり、美味しいものを食べたり、映画をみたり、
楽しみたいことが、いっぱいいっぱい!

| | Comments (4) | TrackBack (0)

2006.04.17

回文メモ

描いた鯛か かいたたいか

食べたないな、食べた たべたないな、たべた

捨てたろ。拾たです すてたろ。ひろたです

ん?迂闊。そんなもんも何ぞ使うん? ん?うかつ。そんなもんもなんぞつかうん?

昼の電車に野心で乗る日 ひるのでんしゃにやしんでのるひ

| | Comments (4) | TrackBack (0)

2006.03.08

友へ

留守番電話に「どうしてる?」と心配そうな声。

ブログの更新もなく、旧来の友との音信も滞ったままの私を気遣ってくれての電話。
嬉しかった。

このところ、富山、熊本と仕事がらみの旅が続いていました。
やりたいことが多すぎて、いそがしい。。。(^^;)
ダブルブッキングどころでなく、トリプルブッキングなんてやらかしてしまったりしてます。
自分のキャパシティを超えているとわかっているのだけれど・・・どこをどう整理したらいいのやら。

留守電から聞こえてくる、旧友の優しい声に
とっても癒されたのでした。cake1-5-6

ありがとう、あららさん!

| | Comments (2) | TrackBack (0)

«息子の誕生日